鯨類の免疫学
比較免疫学的視点から鯨類の免疫機構を解き明かす
哺乳類の中にあっても特殊環境である水圏に棲息している鯨類は,基本的には陸生哺乳類と類似した免疫機構を備えていることを我々の研究室ではこれまでに明らかにしてきました.分子レベルでは,系統発生学的に近縁な偶蹄類の陸生動物と鯨類の免疫系の遺伝子の相同性が高いこともわかっています.一方で,鯨類には解剖学的に陸生哺乳類とは大きく異なる独自な構造が見られるように,鯨類が陸とは非常に異なる環境である水中に適応進化してきたことによって,機能面である免疫についても水棲哺乳類特有の生体防御機構を持っている可能性が大いに考えられます.特に免疫系は,生体に影響を与える環境因子である外来微生物/病原体と直接に相互作用する働きがあるため,そこには未知の生体防御機構が存在している可能性や未だ見つかっていない免疫系以外の生体機構との新たな連関が隠れているかも知れません.
私達は,獣医学の得意分野である比較免疫学的視点に立って,鯨類という特殊な哺乳類の免疫を研究することによって,環境適応の結果創り出される免疫の特殊性や変わらない哺乳類共通の普遍性を解明したいと考えています.


鯨類の生理学
鯨類の海生適応機構の解明に挑む
鯨類は海水中という特殊な環境で一生を過ごします.この特殊環境に適応するため,陸生哺乳類にはない,特異な生理機能を備えています.例えば,ヒトではダイビングなどの潜水時に急激な圧変化に晒されると,体内に気泡が生じて減圧障害と呼ばれる様々な症状を引き起こしたり,酸素ボンベがなければ低酸素血症を招いてしまいますが,鯨類は長時間の潜水や急浮上を自在に繰り返しています.この優れた潜水能力を支える理由の1つとして,鯨類は酸素結合能の高いミオグロビン蛋白質を陸生哺乳類と比べて高レベルで筋肉内に持つなどの特性を備えています.こうした鯨類の特殊な生理機能の現象は多く知られていますが,その機能を支える詳細な機序はあまり分かっていません.
我々の研究室では,鯨類の組織を由来とする培養下で増殖する細胞を開発しました.現在,海洋生物資源科学科の海洋生物生理学研究室と共同して,この培養細胞を材料として分子生物学的解析を行うことによって,鯨類が持っている未解明の特殊な生理機能やそれを支える機序の解明を目指しています.鯨類の生理学を理解することは,鯨類の健康とその破綻によって起こる疾患や,さらにその治療方法を考える上で重要な基礎になるとともに,鯨類を介した海洋環境衛生の理解に繋がるなど,研究の発展が期待できる分野でもあります.

鯨類の細菌学
鯨類と共生細菌の間にはどんな関わり合いがある?
生物と微生物との共生関係は普遍的にみられ,重要な生物機能を担っています.DNAシーケンス技術の目覚ましい発展により,鯨類の消化管等から検出された細菌の約70%が新種細菌であることや,鯨類間で消化管内の菌叢が高度に保存されていることが明らかになりつつあります.その一方で,鯨類と共生細菌種の関係性を理解するには,個々の細菌種の機能を明らかにすることが必須であることが分かってきました.
我々の研究室では,国内の鯨類飼育施設と共同し,鯨類の消化管等から新種細菌を分離培養し,その機能を調べています.研究成果の一例として,本研究室教員は,ハンドウイルカの胃液から独自に開発した培地を用いることで新種のヘリコバクター属細菌を分離することに成功しました.本細菌は,イルカから分離されたことに因んで,Helicobacter delphinicolaと命名しました.現在は本細菌が鯨類にとって敵か味方かを調べる研究をしています.我々の研究室では,こうした研究を通して鯨類と共生細菌の間にはどのような関係性が築かれているか理解することを目指しています.
