

ムツScombrops boopsとクロムツScombrops gilbertiは,スズキ目ムツ科に属する「深海魚」です.「深海魚」といっても,その生息水深は200–700m深の比較的浅い水深帯であり,本当の深海ではありません.このような水深帯に生息する深海魚のことを「中深層性深海魚」といいます.
この2種はとてもよく似ており,外観で判別するのはほぼ不可能です.市場では「むつ」「黒むつ」などという名前で扱われていますが,これらの市場名は生物学的な名前とは対応していません.若齢で銀白色を呈する小型個体を「むつ」,黒みがかった大型個体を「黒むつ」と呼ぶことが多いようです.
ちなみに,かつて「銀むつ」と呼ばれ,現在「メロ」という名で流通している魚は,南極周辺に生息するマジェランアイナメDissostichus eleginoidesとライギョダマシDissostichus mawsoniの2種を指します.ムツ科とは関係ありません.

mtDNAにおける塩基配列の種間差(Itoi et al. 2008)ムツとクロムツについては,その酷似した外観のために,100年を越える研究史の中で同一種ではないかと疑われたこともありました.しかし近年,糸井史朗先生(増殖環境学研究室)がDNAの塩基配列を分析し,本研究室による外部形態観察の結果と照合した結果,両種の塩基配列には明瞭な差異があることが分かりました(Itoi et al. 2008).やはり両種は,生殖的に隔離された別種であったのです.
その後,糸井先生を中心としてムツ属のDNA分析が進められ,両種の稚魚の分布域や個体群の構造についての成果が積み重ねられていきました(Itoi et al. 2010, 2011, Noguchi et al. 2012, Takai et al. 2014).注目すべきは成育場の種間差です.ムツの成育場は房総半島以南の太平洋側沿岸と日本海側沿岸に広く形成されているのに対し,クロムツの成育場は東北地方の三陸沿岸にしか形成されていないことが示されました.

こうした分布域の種間差が生じる原因を解明するため,本研究室では形態分析,DNA分析,生殖腺の成熟度分析などを推し進めてきました.特に,両種の成魚の分布域が重なる伊豆諸島海域については,重点的な分析を実施しました.その結果,この海域にはクロムツの成熟個体が生息しているのに対し,ムツの成熟個体は生息していないことが分かりました(Takai et al. 2014).つまり,伊豆諸島海域にはクロムツの産卵場が形成されているのに対し,ムツの産卵場は形成されていないのです.この成果により,クロムツの初期生活史の一端を計り知ることができました.クロムツは伊豆諸島海域で生まれた後,黒潮の暖水渦に乗って三陸沿岸に来遊し,そこに着底して成育すると考えられます.


では,ムツの産卵場はどこにあるのでしょうか? この問題に取り組むにあたり,私たちはクロムツと同様の再生産機構を予想しました.すなわち,海流の上流側で産卵が行われ,生まれた卵・仔稚魚が海流に運ばれて日本各地に来遊し着底するというものです.その海流とは,もちろん黒潮です.そして,黒潮の上流側とは東シナ海縁辺部に相違ありません.本研究室が与那国島近海で漁獲されたムツを収集し成熟度を分析した結果では,生殖腺の発達した個体が得られております(Takai et al. unpubulished data).おそらく,ムツは東シナ海縁辺部で産卵し,黒潮や対馬暖流によって日本各地に運ばれていると考えられます.
しかし,この話はそこで終わりません.糸井先生の最新の成果により,ムツでもクロムツでもない「第3のムツ」が東シナ海縁辺部の漁獲個体から見つかってしまったのです.現在,この「第3のムツ」の正体を明らかにするための分析が進められています.なかなかどうして,ムツ科の研究は一筋縄ではいきません.


沖縄の大ムツ”第3のムツ”の口
主要成果論文
- Itoi et al. (2008) Species identification method for Scombrops boops and Scombrops gilberti based on polymerase chain reaction-restriction fragment length polymorphism analysis of mitochondrial DNA. Fisheries Science, 74, 503–510
- Takai et al. (2014) Habitat use of the gnomefishes Scombrops boops and S. gilberti in the northwestern Pacific Ocean in relation to reproductive strategy. Aquatic Biology, 21, 109–120