日本大学 生物資源科学部 海洋生物資源科学科 水族生態学研究室

研究内容Research

海底の植物から動物群集への栄養供給

一般に,海の生物生産の主役は植物プランクトンであり,植物プランクトンー動物プランクトンープランクトン食動物と連なる食物連鎖系統が海の漁業生産を支えていると考えられています.海底面の物質に付着している微細藻類(底生微細藻)海藻・海草類などの底生大型植物も海の中で光合成を行っていますが,こうした海底の植物による動物群集への栄養供給は限定的であると考えられてきました.


海底の草原「アマモ場」の調査

しかし,Takai et al. (2002) などが炭素・窒素安定同位体比(δ13C・δ15N)を使って瀬戸内海の食物網構造を解析した結果では,海底の植物から底生魚類群集への栄養供給がとても大きいことが示されました.このような海底の植物による底生魚類への栄養供給は,伊豆半島下田沿岸海域の食物網解析でも示されております(Takai et al. 2007).海底に太陽光が届く沿岸域では海底の植物による生物生産が極めて大きく,沿岸域の食物網を考える上で無視しうるものではありません.


安定同位体比による下田沿岸海域の食物網構造の解析(Takai et al. 2007)

本研究室では,下田臨海実験所を拠点として底生大型植物の研究を実施してきました.もともと火山島であった伊豆半島の周囲には岩礁海岸が連なっており,沿岸域の所々に豊かな藻場が形成されております.伊豆の海は,昔から海藻研究のメッカでした.

この伊豆の海で我々が注目したのは,海底から切り離されたり枯死したりした海藻片の行方です.こうした海藻片は,最初に「流れ藻」もしくは「寄り藻」という状態になります.流れ藻は,海の中を漂って流されている状態を指します.海藻類の一部は「気胞」という器官を備えており,気胞の浮力によって海水中に浮くことができるのです.一方,寄り藻は海岸に流れ寄った状態を指します.寄り藻の一部は浜辺に打ち上げられて陸上生態系に移行していきますが,それ以外は海に残って海底に堆積したり,あるいは海底付近を漂って深い方へ移動していったりします.


下田沖海底のドレッジネット
(水深100m)に絡みつく海藻片


ドレッジネットの海藻片(藻種毎)

私たちは,伊豆の海で動物採集調査を進めていくうちに,この海藻片が意外に深い所まで運ばれていることに気がつきました.ドレッジネットという採集具を水深100–300mの海底面まで降ろして曳いたり,水深200–400mの海域で底曳網採集を実施したりすると,深海生物のタカアシガニなどに混じって海藻片が入網してくるのです.

後に文献を調べて分かったのですが,このような深海方向への海藻の輸送については,古くから一部の深海調査において断片的に観察されておりました.大西洋北米沿岸域における1960年代の深海調査では,水深5000m以深の深海底にホンダワラ属の海藻片が沈積している光景が撮影されており,更に,同じ海域で採集されたクモヒトデ類の胃内からホンダワラ属海藻の気胞が検出されております.海域によっては,海藻片の一部が本当に深い所まで運ばれて深海生物の栄養源になっているわけです.


駿河湾の水深300–400mで底曳網に入網した海藻片

伊豆の海の海藻片については,藻種と組織中の生元素含有量を調べて報告しました(Takai et al. 2010).太陽光がほとんど届かない水深数百mの海底では植物による光合成が行われないため,動物の栄養が不足しがちとなります.そうした栄養不足気味の深い海底では,海藻片が動物群集の貴重な栄養源になるでしょう.

余談ですが,深海方向への海藻の輸送には,もう一つ大きな意味があります.海は,人間社会から排出される二酸化炭素の一部を吸収してくれるため,地球温暖化防止を考える上で非常に重要な場です.青い海で吸収されるこの二酸化炭素は「ブルーカーボン」の異名で呼ばれています.藻場で吸収されたブルーカーボンが浜辺に打ち上げられる量よりも多く深海方向に輸送されているとしたら,その輸送量は二酸化炭素問題を考える上で意外に重要かもしれません.

主要成果論文

  • Takai et al. (2002) Carbon sources for demersal fish in the western Seto Inland Sea, Japan examined by δ13C and δ15N analyses. Limnology and Oceanography, 47, 730-741
  • Takai et al. (2004) Transport pathways of microphytobenthos-originating organic carbon in the food web of an exposed hard bottom shore in the Seto Inland Sea, Japan. Marine Ecology Progress Series, 284, 97-108
  • Takai et al. (2007) Carbon source and trophic position of pelagic fish in coastal waters of the south-eastern Izu Peninsula, Japan, identified by stable isotope analysis. Fisheries Science, 73, 593-608
  • Takai et al. (2010) Transport and deposition of macrophytes to the dysphotic bottom of coastal waters. Aquatic Botany, 92, 289–293

本研究の一部は科研費若手研究B(H16–17)「底生魚類への炭素供給を担う底生植物と植物プランクトンの相対的重要性に関する研究」の成果です.