4回ライチョウ会議資料(200396-7日、東京農業大学

ライチョウの血液原虫感染に関する調査・研究

村田浩一(日本大学・生物資源科学部・野生動物学研究室)

はじめに
 これまで、生態学分野でも獣医学分野でも野生動物の感染症に対して大きな注意が払われてこなかった。自然界では病原体に弱い個体は淘汰され、強い個体だけが生き残ってゆくという考え方が一般的であったからである。確かに、個体群がある程度大きく世代交代の時間的余裕がある場合は、遺伝的変異により病原体に対する免疫能を獲得することは可能であろう。しかし、生息域が分断化されて遺伝的交流が制限される小個体群内で新興もしくは再興感染症が発生した場合は、個体群が壊滅的な打撃を受け、時には種が絶滅する場合もあり得る。
 希少種の保全を考える場合、感染症問題は避けて通れないというのが、保全生物学者の間で世界的な共通認識となりつつある。つまり、希少種保全では自然に任すのではなく、病原体制御という人為的な健康管理が求められているのである。
 しかし、残念ながら国内では野生動物の感染症や獣医学的保護管理に関する研究は少なく、健常個体および個体群における寄生虫・原虫・細菌・ウィルス等の病原微生物の保有状況ならびに血液学的・血液生化学的検査値等の獣医学的基礎データは限られた種で得られているにすぎない。当該種に対する病気の診断基準もしくは臨床検査の参考値がなければ、感染症が蔓延した際の疫学的調査や予防対策に遅れをもたらすことになる。
 ライチョウ(Lagopus mutus)は中部山岳地帯等に生息する高山鳥であり、近年、生息環境悪化のために個体数が減少している。本種は国の特別天然記念物にも指定されている希少種であり、早急な保護対策が必要と考えられている。筆者らは、2002年の立山室堂平における捕獲調査で血液検査を実施し、国内では初めて本種における血液原虫(ロイコチトゾーン)の感染を認めた。ロイコチトゾーンは家禽の致死的病原体として知られているため、ライチョウの獣医学的保護管理を視野に入れた調査研究を開始した。ライチョウのロイコチトゾーン感染については、生体に影響を及ぼさないという考え方がこれまで主流であったが、最近の北米における研究では繁殖率低下やヒナの初期死亡との関連が示唆されている。

@ 現在進行中の調査・研究、保護管理の内容
1. 血液学的および血液生化学的研究
 2002年に北アルプスの立山室堂平および爺ヶ岳でライチョウを捕獲して採血し、血液学的および血液生化学的検査を実施した。同時に、市立大町山岳博物館で飼育されている雄ライチョウの検査を実施した。後者については飼育下での健康管理を目的として、2003年以降も検査を継続している。
 希少種であるため試料数が限られており、種としての血液学的および血液生化学的検査の標準値を得るところまでには至っていないが、臨床診断の参考になる平均値と標準偏差を求めた。赤血球数、PCVおよびヘモグロビンにおいては野生個体と飼育下個体の血液学的検査値間に大きな差異はなかったが、一部の原虫感染個体に軽度の貧血傾向を認めた(Table 1)。

2. 血液原虫に関する調査研究
 北アルプスの立山室堂平および爺ヶ岳での採取試料に認められた血液原虫の形態を詳細に調べ、ヨーロッパのライチョウで既に報告されているLeucocytozoon lovati(= L. bonasae) であると同定した。
 感染個体ごとにL. lovatiの寄生率を調べ、立山室堂平および爺ヶ岳の個体が高率に感染を受けていることが判明した。なお、飼育下個体には感染を認めなかった(Table 1)。
 ロイコチトゾーン感染ライチョウの血清を用いてL. caulleryi抗原に対するゲル内沈降反応を実施したところ交叉反応は認めなかった。

3. 原虫感染とライチョウの保護管理
 現在までの研究からは、ロイコチトゾーン感染が国内のライチョウに与える影響は分からない。ただ、捕獲された個体は健常であり、本原虫に対して免疫能をすでに獲得しているとも考えられる。
ニワトリの場合、ロイコチトゾーン感染により死亡もしくは衰弱する個体は主に免疫能の低いヒナである。野生ライチョウの場合、ヒナや免疫低下した老齢個体が本原虫感染で死亡したとしても、新鮮死体が発見されない限り診断は困難で病原性の判断はできない。つまり、原虫感染が認められた個体が健康だからといって、本原虫がライチョウに対して病原性を持たないとは断言できないのである。海外での報告から現状のヒナの低い生育率にロイコチトゾーン感染が関与していることが推察されるため、保護管理面からの継続調査が必要であると思考する。 

A 今後の調査・研究の方向性
1. 各種生体情報の収集
 野生および飼育下ライチョウの採血検査を継続し、獣医学的保護管理を目的として本種における各種臨床検査値を採取・記録する。
 家禽や飼育鳥類で行われている血液一般検査法がライチョウに適用可能であるかどうかを検討し、本種に適した新たな検査法を開発する。

2. 血液原虫の遺伝子分析
 ライチョウに認められたL. lovatiが他の野鳥由来のロイコチトゾーンでないことを証明するために、本原虫のミトコンドリアDNA特定領域の塩基配列を各種ロイコチトゾーンと比較検討する。
 媒介昆虫と思われるブユをライチョウ生息地各所で採集し、昆虫体内からL. lovati遺伝子を検出して媒介の証明および本原虫の分布推定を行う。
 北米もしくはヨーロッパ産ライチョウと日本産ライチョウのロイコチトゾーン遺伝子を比較検討し、ライチョウおよび本原虫の大陸から日本への渡来および国内での分化の様態を共進化の観点から研究する。

3. 原虫感染調査研究とライチョウ保護管理の方向性
 ライチョウの個体群動態に感染症もしくは病原体が与える影響を知るためには、長期に渡る調査研究が必要である。とくに血液原虫感染では、繁殖率低下やヒナの初期死亡との関連が示唆されているため、生態学的調査と連動させた研究が求められる。
 冒頭で述べたように、国内では野生動物の医学的研究は発展途上である。その原因のひとつには、生態学者との連携の不備が挙げられる。研究目的を異にしていた理由もあろう。だが、今や希少種となってしまったライチョウの保護を目指すなら、互いの知識や技術を持ち寄り学問的ならびに人的な垣根を越え、保全生物学的研究を行なうという共通認識と方向性をもつこと大切であると考える。