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第27回日本マイコプラズマ学会シンポジウム

本邦のヒト・マイコプラズマ学の起点より

中村昌弘
(古賀病院附属医学研究所・久留米大学名誉教授)

Retrospective Remark on the Starting Point of Human Mycoplasmology in Japan
Nakamura, Masahiro, M. D.
Professor Emeritus of Kurume University
Koga Hospital Medical Research Institute



 地表に現れない根から芽が出て、沢山の葉をたたえ、一本の木が木としての性格と風貌を作るように、すべての学問がそうであるが、ヒト疾患のマイコプラズマ学もこうして発達してきた。地盤は牛肺疫を中心とした先人の地道ではあるが重厚な研究に堅固に固められ、その上に座する根にはウイルスの特性である濾過性と細菌学の形態学、更に無細胞培地にコロニーを形成する通念が入れ混じった哲学が含まれ、技術的にはPPLOと細菌のL-formの援護があり、次第にその根は膨らみ、ついに発芽が始まったものと思われる。  発芽が始まった当初はどんな木になるか分からぬ故に、ヒト関連疾患から分離されたマイコプラズマは原因が明らかでない白血病に関与しているのではないか、スモン(SMON)の病原ではないか、その他、原因不明の疾患に擬せられ、また如何にももっともらしい論文が報告され、学会や民衆の注目を浴びたが、やがて木が生育し、全貌が明らかになるにつれて、マイコプラズマに対する猟奇的魅力が次第に少なくなったことは事実である。しかし、その間の模索と試行錯誤は明らかにマイコプラズマへの関心と学問の進歩と発展に大いに貢献したことは疑う余地もない。
 演者は Eaton agent がまだ Horsfall 編“Viral and Rickettsial Diseases of Man”(3版、1959)のなかに抗生物質感受性の特殊なウイルスとして収録されていた頃から、自己増殖能をもつ最小微生物としての全容が明らかにされるに至るまでの一連の流れを一細菌学徒として、自分の手と目と耳で経験したので、その回顧を述べることとする。
 演者のヒト・マイコプラズマ研究の出発は1959年、ミシガン大学ウイルス研究所での Rockefeller fellowの研究期間を終えて Boston の Massachusetts General Hospital に Dr. Louis Dienes を訪ねたところから始まる。
 その3年後、1962年、原発性異型肺炎(PAP)の原因と呼ばれていたEaton agentがMycoplasma pneumonieとして培養されその姿を露わにし形成された特殊なコロニーを見て、演者はその奇妙な微生物に魅せられ、数名の敬服してやまない多くの経験を既に有しておられた農学部、医学部の先輩との交友と指導を受けることになり、多くのアイデアと研究技術を学んだ。
 細菌学の正統的な思考過程を踏んでマイコプラズマの分離、培養、形態学、生理学、最後に、あるアコレプラズマより分類学的にも新しいウイルス株を分離する事が出来て、幸いにも一応の自分なりのマイコプラズマについての系統的研究を、与えられた研究期間内に終了することが出来たのである。
 然し、演者はマイコプラズマの神秘性に今なお魅力と夢があり、現在明らかにされているだけのマイコプラズマの性状と意義と役割ではマイコプラズマが地球上に存在する意味がどうしても釈然とせず、何時か思わぬところから、突如として、ある疾患にマイコプラズマが致命的役割を果たしていることが明らかにされるのではないかとの予感を拭い去ることが出来ない。これが全くの愚かな幻想であるか否かは来るべき21世紀が明らかにすることであろう。