Laboratory研究室・教員

寄生虫がもつ特殊なエネルギー代謝機構の解明

教授 松本 淳(医動物学研究室)

 エキノコックスという寄生虫をご存知でしょうか?北海道に行くと、あちこちで見かけるキタキツネですが、その約4割がこの寄生虫を持っていることがわかっています。感染キタキツネの糞便内には、エキノコックスの卵が含まれています。この卵を食べ物などと一緒に口にすることにより、ヒトもエキノコックスに感染する恐れがあります。典型的な動物由来感染症であり、そのコントロールに獣医師も責任を負っています。
 感染したエキノコックスは、ヒトの肝臓に寄生して、まるでガンのように無秩序に増え続けます。さらに他の臓器にも転移することがあります。このようなエキノコックスの性質が、肝機能障害などの致死的な病気(エキノコックス症)を引き起こします。エキノコックス症は、北海道だけでなく北半球の広い地域で深刻な問題となっていますが、人命を脅かすこの寄生虫症に対する治療薬を、人類はまだ手にしていません。新薬開発につながる研究の推進は、寄生虫学研究者に課せられた使命であると考えています。

 では、どのようにすれば、有効な治療薬を開発できるのでしょうか?考えられる戦略は様々ですが、以下に述べる理由から、私達はエキノコックスのミトコンドリア呼吸鎖に着目しました。ヒトは、大気中の豊富な酸素を利用して生存に必要なエネルギーを産生する代謝システムを利用しており、その中心的な役割を担うのがミトコンドリア呼吸鎖です。一方、エキノコックスは、宿主体内という低酸素環境で生きていることから、酸素なしでも機能できる特殊なミトコンドリア呼吸鎖を利用していると推測されます。このように、宿主(ヒト)にはない、寄生体(エキノコックス)に特有の生命維持システムを阻害することで、宿主に悪影響を与えることなく寄生体だけを選択的に殺滅できる可能性があります。すなわち、エキノコックスのミトコンドリア呼吸鎖は、安全かつ有効な治療薬開発の標的として有望であると考えられます。

 分子生物学的手法や酵素学的手法による解析の結果、エキノコックスは、酸素なしの条件でも効率良く機能できる、嫌気的なミトコンドリア呼吸鎖を利用している事実が明らかとなりました。この「嫌気的呼吸鎖」の注目すべき特徴は、最終電子受容体としての酸素の役割を、フマル酸という物質が代わりに担っている点です。したがって、酸素のない環境でもエネルギーを産生することができます。さらに私達は、エキノコックスの嫌気的呼吸鎖に関わる主要な酵素活性を阻害する化合物を見出すともに、この化合物がエキノコックスに対して実際に殺滅効果を示すことを、試験管内の実験で明らかにしました。
 以上の成果から、エキノコックスの嫌気的呼吸鎖は、新しい駆虫薬開発の標的として有望であると結論づけました。ただし、この研究で用いた化合物は、まだ実用化に耐えるものではありません。エキノコックス症から人命を守れる新薬を開発するまでには、まだ道のりは遠いかも知れませんが、一歩ずつ確実にゴールに近づいて行きたいと思います。

 ここでご紹介した研究は、北海道立衛生研究所・北海道大学(獣医学)・東京大学(医学)・京都大学(農学)の研究者と共同で進めたものです。異なる分野の研究者がそれぞれ自分の強みを発揮しながら共通のゴールを目指す研究は、とても刺激的です。皆さんが、生命科学研究にも興味を持って下さることを期待しています。

エキノコックスの幼虫

エキノコックスの幼虫

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