食ビの人々

友田 滋夫 准教授 Shigeo Tomoda 担当科目:消費者行政、経営分析論、食品産業の歴史

消費者も裏を返せば生産者、
稼いだお金で物を買う。
多様な視点で考えよう。

現在の研究内容について、わかりやすく教えてください。

日本では品質の高い食品がたくさん生産されています。例えば牛肉には輸入と国産がありますが、輸入牛肉は比較的安く売られています。国産牛でも、乳用牛のホルスタイン種の雄を食肉用に育てたものは比較的安く売られています。これに対して肉専用の和牛、なかでも黒毛和種という肉牛の肉は高値で販売されます。黒毛和種の肉の中でも、「○○牛」などとブランド化されて、筋肉組織の中に適度な脂肪が入った肉(霜降りの肉)は特に高値で販売されます。お米も同じように、外国産より国産のお米は高値で販売されています。国産の中でも、品種や産地によって価格は違い、青森県津軽産の「青天の霹靂」、山形県産の「つや姫」、新潟県佐渡産の「コシヒカリ」、熊本県県北産の「ヒノヒカリ」といった品種は、日本穀物検定協会による食味ランキングで最高位とされ、高値で取引されています。
無農薬、減農薬で育てたもの、機械乾燥ではなく自然乾燥したお米もそうでないお米と比べて高値です。安価な輸入農水産物や輸入加工食品があふれる中で、価格は高くても品質の高い食料品を生産することが、日本の農水産業・食品産業の一つの戦略となっています。しかし、こうした品質が高く価格も高い食料品を日常的に買っている消費者はそれほど多くありません。ふつう、「霜降り和牛のすき焼き」などというものは、年に数えるほど、何かの記念日に食べるもので、日常的に食べるものではありませんし、そんなものは全く食べないという家庭も少なくないでしょう。
「お金持ち」とは言わないまでも、かなり生活に余裕のある家庭なら、こうした食料品を日常的に買うことができるかもしれませんが、そんなに余裕のある家庭ばかりではありません。日本では非正規雇用者の割合が長期的に上昇し、1985年には16%だったのが、2017年には37%になっています。非正規雇用者の賃金は正規雇用者の賃金より低いのが一般的です。
また正規雇用者の賃金も、新卒初任給は最近アップしていますが、勤続者の賃金はむしろ以前より低下してきています。「下流老人」という言葉が出てきたことからもわかるように、老後の不安にも備えなければなりません。
こうした中で、生活にあまり余裕がない家庭でどのような農水産物・食料品が消費され、国産の農水産物・食料品にどのような役割が期待されるのかについて考えています。

現在の研究領域に興味を持ったきっかけは何ですか。

日本では、経営面積100ha以上の農業経営も見られるようになったとはいえ、経営面積3ha以上の農業経営は2015年時点で全体の14%程度にすぎません。私が大学生だった1985~1990年ごろの農業経営規模はもっと小さいもので、小規模な農家から大規模な農家への農地の貸付による経営規模の拡大が進まないのはなぜか、ということに、私は関心を持っていました。農地の貸し借りの際に、借り手は貸し手に小作料を支払います。貸し手と借り手の双方が納得し得る小作料なら貸し借りは進みますが、小作料が借り手にとって高いと感じられたり、貸し手にとって安いと感じられれば、貸し借りは進みません。借り手が小作料として支払える最大限の額は、借りた農地で生産した生産額からその生産にかかった費用(借り手自身が必要と考える自分の労賃部分も含む)を差し引いた部分になります。ある農地の所有者が自分で耕作するときにかかる費用より、その土地を借りたいと思った人がその土地を耕作する場合にかかる費用の方が安ければ、その農地を貸し借りした方が双方にとってメリットがあるはずです。
逆に、貸し借りしても双方にメリットがないと感じるのは、その農地の所有者が自分で耕作するときにかかる費用より、その土地を借りたいと思った人がその土地を耕作する場合にかかる費用の方が高い場合です。農地の借し手より借り手の方が費用が高いものとして労働時間当たりの労賃が考えられます。例えば農地の所有者が高齢者である場合、高齢者が農業以外の仕事を探したとしてもなかなか賃金の高い仕事はありません。同様に、農家の男性世帯主が普通のサラリーマンで、その妻が家事を主に担当している場合、家事の合間にできる農業以外のパート仕事を探してもなかなか賃金の高い仕事はありません。
こうした人たちは農業に従事した場合の自分の賃金も低くてもよいと考えるかもしれません。これに対して、農地を借りて、農業で生計を立てようとする人は、農業で得られる自分の賃金がパート賃金なみでは生活が成り立ちません。こうしたことを考えているうちに、農業以外の仕事も含む、様々な仕事の賃金の格差、所得の格差、消費水準の格差、貧困問題、といったことに関心が広がっていきました。

研究の成果をどのように社会に活かしていきたいですか。

多くの人たちは多少高くても安全・安心・美味しい農水産物・食料品を購入したいと考えています。しかし、ある程度の所得と、将来にわたっての生活の安心感がなければ、消費者は節約志向に流れてしまいます。今年の所得は高くても、来年失業するかもしれない、子供の教育費がたくさんかかるかもしれない、年金がもらえないかもしれない、ということになると、今年の所得のすべてを消費し尽くすわけにはいきません。もちろん、自然環境の保全や資源の有限性を前提とすれば、経済成長を追って無限定に消費者の需要を喚起し、モノやサービスの消費をどんどん増やせばよいということにはなりません。地球における人間の身の丈に合った消費をしていくべきですが、生活不安のために食の安全・安心を後回しにするようなことは好ましいことではないと思います。
また、多くの場合、多少コストは高くても安全・安心なものは、その生産にあたっての環境負荷も小さく、持続的な生産が可能で、農水産業、食品産業にもそのことが当てはまります。生産と消費の望ましいサイクルを構築していくために、消費者の所得や社会保障の問題との関係も含めて発信をしていきたいと思います。

研究のやりがいや面白さを感じるのはどんな時ですか。

調査などの結果をまとめる文章を書いている時に、調査や統計から得られた数値の意味や、ヒアリングで聞いた話の意味を考えながら、論理的に文章をつなげていくわけですが、うまくつながらないことがあります。「うーん」と考え込んでも良い考えはなかなか浮かばず、筆が止まってしまいます。ところが、全然関係のないことをしている時、例えば新聞を読んでいたり、風呂に入ったりしている時に、「こういうデータや事実があれば、うまくつながるのではないかな」と突然思い浮かぶことがあります。それで実際にデータや事実を調べてみて、うまくつながった時には、やはりうれしいです。

反対に、研究で苦労する点、努力する点はどのようなことですか。

とはいえ、風呂に入れば毎度のごとく良い考えが浮かぶわけではありません。また、欲しいデータがいつでも手に入るわけでもありません。締め切りのない原稿でしたら、暫く塩漬けにしておけばよいのですが、締め切りのある原稿もあります。そんな時は、ともかく手持ちのデータから言えることの範囲で原稿を書いて提出するわけですが、心地悪さを感じます。仮説を立てて、調査項目を考えて、計画的にデータの収集をしたいと思っていますが、面倒なことは後回しにしてしまいがちな性格が災いし、計画が崩れることもありますし、実際に文章を書き始めてみて「文章がつながらない」ことに気付くことも多々あります。

これから同じ専門領域を研究する学生に何を期待しますか。

どんなことにも疑問を持ってみてください。以前、ある大学の(もう退職されましたが)先生から「自分は、指導教員を乗り越えようと『打倒○○』(○○はその先生の指導教員の名前)と書いた紙を壁に貼って研究した」という話を聞いたことがあります。最近、大学院生や大学院を修了して間もない若い方々の論文をいくつか読む機会がありましたが、「この論文に書いてあることはその方々の指導教員の考え方と似ているなあ」、と感じることがあります。指導教員の考え方と違う考え方をしてみる、指導教員に対して論争を吹っ掛ける、というぐらいの気概を持って研究に臨んでほしいと思います。

食品ビジネス学科を目指す学生へメッセージをお願いします。

生活感を持ってものごとを見てみることを勧めます。アルバイトをして稼いでみること、その稼ぎで日々、生活必需品を買い、食材を買って料理してみること、自分の稼ぎでどんなものがどれだけ買えるのか考えてみてください。それらの商品は、あなたにとって、安いと思いますか、それとも高いと思いますか。また、その値段で買ったとすれば、その商品の生産者にとってはどのぐらいの収入になるだろうか、ということも考えてみてください。そんなことから、今の経済・社会の良いところもおかしなところも見えてくると思います。

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