食ビの人々

細野(倉田) 沙也加 Sayaka (Kurata)Hosono 合同会社HITOOMOI
2014年度卒業(CEO・フードコーディネーター)

フードコーディネーターとして家族と囲む幸せな食卓を提供していきたい。

今までの経歴について教えてください

①三菱食品株式会社(2015年4月〜2017年6月)
(1)フードサービス本部(外食):メニュー・食材提案
(2)デリカ事業本部(スーパー総菜):お弁当・パンの開発、提案

食品商社に新卒入社し、約2年半働きました。その間に「外食」と「小売」向けの2つの営業部署を経験しました。初めの1年は、新人研修と合わせて外食向けの営業同行をしました。そして、残りの期間は小売向けのお弁当とパンの商品提案を中心に、営業に回りました。この時、社会における中食の需要の大きさを肌で実感し、自分の価値観が大きく変わりました。それまでは、手作りの料理にこだわっていたのですが、時には頼りになる中食の存在も重要なので大事にしていきたいと感じました。

②フリーランス(2017年7月〜2017年10月)
(1)デリッシュキッチン:料理動画(レシピ考案・撮影)
(2)フードコーディネーター(アシスタント):撮影用の料理のコーディネート
(3)記事・コラム執筆:レシピにまつわるコツや知識などの執筆等

その後、会社を退職し、半年間はフリーランスのフードコーディネーターとして従事しました。退職した理由は「人の心を動かす食事」を創りたいと思ったからです。そのために起業することを考えましたが、その前にチャレンジの期間としてフリーランスでの活動期間を設けました。この期間で、自分のできることや、やりたいことは、市場でどのような価値があるのかを知りたかったからです。その為、この半年間は、食に関わる様々なお仕事に挑戦して「体感」することを目標とし、走り抜けました。

③Adirect Singapore(2017年11月〜2019年1月)
シンガポールで販売する「日本食のお弁当」の開発
・冷蔵・冷凍 → 自動販売機での販売も開始

そしてその後、1年と少しの間シンガポールの会社で働きました。この会社にはフリーランス期間中にお仕事をさせていただいたことがきっかけで、渡星する運びとなりました。主なお仕事はシンガポールで販売する日本食のメニュー開発でした。言語が通じない環境で、調理の知識や指導をするのはとても大変でしたが、必死で努力しました。(話せなかった言語を調べてメモにする…やる気を示す為に朝5時から工場に入り、一緒に働く…など)当時はできないことだらけで毎日焦っていて苦しかったです。しかし、今となってはがむしゃらに挑戦したこの期間が、自分にとってとても大切な時間だったと思います。出来るつもりになっていたことが、本当は自分一人では出来ないことを実感し、それを克服する為に努力することの大切さを実感しました。

④合同会社HITOOMOI(2019年1月〜現在)
(1)レシピ開発
(2)お弁当コンサル
(3)記事・コラム執筆

帰国してすぐに、会社を設立しました。大切な人を想って手作りする料理で、愛情を感じあえるような社会を創りたいと思い「HITOOMOI(人想い)」と名付けました。お仕事はレシピの開発がメインで、誰でも簡単に作れる家庭料理を中心に作成しています。

起業にいたるまでの経緯について教えてください

大学時代から、手作りの料理に大きな可能性を感じていてぼんやりと起業を志していました。当時から、食べ物は単に美味しさだけでなく、食べる場所や作った人や食べる人との関係性などが相まって価値の大きさが決まると思っていました。その素晴らしさを伝えるため、会社を創りたいと考えていました。しかし、起業する前に、まずは食の市場の最前線を体感したいなという思いから就職活動をし、第一志望の食品商社に入社することができました。入社時は3年働いてたくさんのことを経験したい!と思っていましたが、実際は2年と少しで退職しました。実は社会人2年目から、もともと大事にしたいと思っていた「手作りの食事」を普及したいという思いから、大学時代の友人である宮崎らと共に、料理教室を開いており、そこで思いの重なった宮崎と一緒に、退職・起業の決意を固めていたからです。きっかけとなった、料理教室では、手間だけれども大切な「温かな食事」を大事にしたいという気持ちを再認識しました。そこで、商社で仕事をしていく中で感じた、時代として求められる「利便的な食事」も大切だという実感を得ながらも、大学時代から志していた道を選ぶこととなりました。

会社の主な事業内容を教えてください

レシピ開発をメインに、調理に関係する食コラムの執筆、フードスタイリングや、料理撮影など食に関係するあらゆるお仕事をしています。
また、会社員時代に培った商品開発の知識を活かして、新規商品の開発兼コンサルティング業務も行っています。

仕事をする上でのやりがいや大変なことを教えてください

自分の身の回りの人にお役立ちできた時はやりがいを感じます。料理の良いところは、多くの人が必要としていて、喜んでくれることです。自分の大事な人が笑顔だと、頑張ってきてよかったなと思います。でも、スケジュールはハードです。フードコーディネーターという名称は、華やかでゆったりしたようなイメージですが、実際は違います。撮影の日などは一日中立ちっぱなしで休む暇がないことも多く、日々のお仕事が体力勝負です。今の課題は、自分たちで一から考えた事業を開始してやりきることです。起業して1年は先方からオファーを頂いたものを中心に、事業を回していたので、新しい挑戦をたくさんしたいと思っています。

食品ビジネス学科をめざした理由について教えてください

フードコーディネーターの資格がとれたからです。食品業界に進む上で、管理栄養士の道と迷いましたが、健康にアプローチする栄養面のサポートよりも、感情を揺さぶるような食事を創りたいと思いこの学科を選びました。フードコーディネーターなら、味や見た目だけでなく、空間のコーディネートなど多方面からのアプローチができそうで、その可能性の広さも魅力的だと感じました。

学生時代に学んで役に立っていることはなんですか?
また、学生時代に立ち上げたサークルについて教えてください

調理実習やコーディネート実習など、実践的な授業です。今行なっている仕事にも直結している部分なので、身についた技術が役に立っています。また、食料生産実習など、農業の体験ができたことも学びとなりました。調理をする上で、食材がどんな風に育てられているかを知っていることで、食材の活かし方が分かるようになりました。
そして、授業とは少し異なりますが、大学の先生方に奨められて応募した藤沢市の地産地消関連のレシピコンクールで最優秀賞を頂いたことがきっかけで、3・4年生の時に藤沢市広報番組「ふじさわ情報ナビ」内のお料理コーナー「ふじさわごはん」に出演しました。担当コーナーの地元産の旬の野菜を題材としたレシピ開発と紹介は、今の仕事に直接結びつく貴重な経験でした。
また入学後すぐに、食に興味が強いメンバーと共に食品の企画・開発を目的としたサークル「Highers☆(ハイヤーズ)」を設立しました。サークルは、学科のコンセプト同様「食で人を幸せに」という志で様々な活動を行いました。メンバーそれぞれに食に対しての想いがありましたが、私自身が食に興味を持ったきっかけは、高校時代の食事トレーニングです。たくさんのご飯を食べなければならない状況の中で、生命維持のために食事を摂るのではなく、楽しいと思えるような感情的に豊かな食事を創りたいと思ったからです。サークルの活動は、デイサービスで食事を振る舞う「コミュニティレストラン」や、食べることを通じて国際貢献を行う「Table For Two(TFT)」を導入したメニュー開発などを行いました。活動の中で一番心に残っているのは、半年かけて準備したコミュニティレストランで言われた、おばあちゃんからの一言です。「あなたたちが作って、こうやって一緒に食べてくれて、とっても嬉しいわ。ありがとう。」その時の私は美味しいという感想をもらえず、少し残念な気持ちになっていましたが、すぐにハッとしました。そして、私が創りたい食卓はこれだ!と気づきました。おいしさという感覚的なものではなく、嬉しさという「感情を創る食卓」を創ること。それが私の夢となりました。

今後の展望について教えてください

家族のための「帰りたくなる食卓」作りを実現したいと思っています。自分の人生の中で、最も身近で大切な人である、家族のためのサービスや商品を創っていこうと思っています。お仕事で時間がない中でも実現できる手料理の提案や、買って振る舞うだけで愛情が感じられるような商品を仕込み中です。

最後に、学生の皆さんにメッセージをお願いします

自分の目標や、興味を持ったことに対して貪欲であり続けてください。そして、思うだけでなく、行動に移してみてください。たくさんの環境で、様々な経験をすることで、世界がぐっと広がります。どんなに小さなものでも、日々の挑戦が明日の前進につながると信じて進んでいきましょう。

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